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シネマレビュー その18 『リリーのすべて』

category :  2016.3.22 

riri- 1928年のデンマーク。風景画家のアイナー(エディ・レッドメイン)は妻で同じく画家のゲルダ(アリシ ア・ヴィキャンデル)から女性モデルの代役を頼まれる。それをきっかけに、アイナーは自身の内面に潜む女性“リリー”の存在に気付き始める。心と体の不一致に苦悩するアイナー(=リリー)を、ゲルダは懸命に支え続けるが・・・

 

“無償の愛”だけでは何も生まれない

 

作品が終了しても、暫く気持ちの整理がつきませんでした。

だってあまりに残酷で、惨過ぎる話じゃないですか、これ?

 

愛した男性が、男性でなくなっていく。夫の為に力を尽くすということ、それは即ち彼の存在を消す手助けをしているに等しい。

 

アイナーが“リリー”となることで人生を謳歌し始めるほど、ゲルダは胸が押しつぶされそうな苦しみを味わうことになる・・・

 

本作を評価する際に重要となるのは、アイナーの生き方を“肯定的に捉えられるか否か”ということではないかと思います。

 

リリーとしての人格が大きくなることで苦悩する描写があるとはいえ、基本的に彼(彼女)は自らの欲望にブレなく突き進んでいく。

 

つまりアイナーに対するゲルダの献身は、何処まで行っても決して報われることがないんですよね。だからこそ、彼女に対するアイナーの姿勢はあまりに利己的で、あまりに残酷に映るわけです。

 

この点がどうしても納得できなかったために、個人的には何とも煮え切らない印象の残る作品となってしまいました。“無償の愛”“自己犠牲”などと言えば聞こえはいいですが、観終えたあとに心に残るのは、やっぱり精神的にズタボロになっていたであろうゲルダへの憐れみばかりだったんですよね。

 

勿論、トランスジェンダーに対し絶望的に無理解だった時代背景を思えば、アイナーの勇気は褒め称えられるべきだと思いますし、彼の存在がその後の性同一性障害の研究と社会的認知に大きく貢献したという事実は疑う余地はありません。

 

問題なのは、それらの事実を“映画作品として落とし込めていない”ということなんです。

 

自らの欲望しか見えなくなってしまった男(女)と、妻として、女として必死に思い悩み、ボロボロに傷ついていったひとりの女性。

 

この二人の姿を通して、本作が訴えたかったものは何なのか?

残念ながら、最後までそれを理解することが出来ませんでした。

 

作品にとって重要な骨子が抜け落ち、単に残酷な事実をなぞるに留まっている。それが、本作の印象を散漫なものとしてしまったのではないでしょうか。

 

エディ・レッドメインとアリシア・ヴィキャンデル両名の圧倒的な演技力、寒々しくも美しいデンマークの風景など、観るべきところの多い作品ではあります。それでもあと一歩心に響くものがない、惜しさの残る一作でした。

 

札幌市内で『リリーのすべて』を上映している映画館は「札幌シネマフロンティア(ステラプレイス内)」と「ディノスシネマズ札幌劇場(ディノス札幌中央ビル7・8階)」です。

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